×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
目指せバイリンガル!
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
![]() 読売新聞 | 外国人児童向け教室 読売新聞 同市内では外国人子弟向けに10年以上前からバイリンガルの教育相談員14人が各学校で巡回指導を行っているが、一定期間、集中的に学んだ方が効果的と、今年初めて日本語の初期教室を開設。同市教委によると、こうした教室は県内では豊田市などに次いで4番目という。 ... |
Q | 方言しか話せない子に育ててしまう権利って果たして母親にはあるのでしょうか?元質問 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1427071914 について、 >標準語(ママ)を教育するのも方言を教育するのも親の自由であり権利です。 なる回答を頂戴したのですが、果たして本当にそんなものなのでしょうか。 テレビで覚えた標準アクセントによる共通語を、体罰によって地元の方言だけを話す子に矯正(?)しようとされたことが40年近く経った今もトラウマになっています。 学校や親戚、近所の付き合いなど、地元民の中で生活する場面では方言を使い、それ以外の場面では共通語を使う、という使い分けの出来るバイリンガルに育てず、どうしてそのように仕向けたのか、いまだに釈然としません。 本人に聞いても、「昔のことを穿り返して今更どうするの」だの、「あのときは地元の言葉が全然話せないで心配したんや」とは言いますが、何故バイリンガルに育てなかったのか、何故我が子が習得した共通語を全否定したのか、については口をつぐんでいます。 果たして体罰まで与えて方言しか話せないような子に育てる権利って、保護者にはあるものなのでしょうか。 言い方は悪いかも知れませんが、子どもの知る権利を著しく侵害しているように感じてなりません。 貧しい中でも飢えなく育ててくださったことへの恩は1日たりとも忘れてはいけない、とは思っておりますが、この方言専用についてだけに限らず、母親の考えで教育することにより子どもの「知る権利」を阻害してしまうこと、というのはありうると思うのです。 そのように育てる権利って果たしてあるのでしょうか。 追伸 社会人になって、3年間の東京勤務で東京弁は曲がりなりにも身につき、今となっては何とか標準アクセントも使えるようになりましたが、当初はやはり訛っているだのと笑われ不愉快な思いもし、そのときは標準アクセントを体罰までして捨てさせた母を恨めしく思ったものです。その悔しさがばねになって、今では大阪近郊出身といわなければ分からない程度にまで会得できましたが。 言語は子どものときに覚えさせると伸びるといいますが、ならばどうして共通語の標準アクセントをそこまで無理に捨てさせ、方言しか喋られないようにさせたのか、理解できません。 体罰までして押し付けられた地元の方言には全然愛着がありません。 会社ではもっぱらはんなりとした大阪弁を使うように努めています。 |
A | こんにちは。 >親の考えで教育することにより子どもの「知る権利」を阻害してしまうこと、というのはありうると思うのです。 そのように育てる権利って果たしてあるのでしょうか。 私個人の考えではそのような権利は無いと思います。しかし子育てをしていくなかで多かれ少なかれ親の考えは反映されてしまいます。良いところも、悪いところも。 母親の立場から考えてみました。 貴方のお母様はきっとその地方、方言にとても愛着があり自分の可愛い子供にも自分と同じ言葉を喋って欲しかったんだと思います。 周りのお友達の子供さんは同じ方言で喋ってるのに、自分の子供だけ聞きなれない標準語を喋るのが違和感を感じていたのかも知れません。 私ももし子供がいきなり普段の会話で聞きなれない方言(言葉)をずっと喋りだしたら、その言葉はなんなの?と心配すると思います。 もちろん体罰はしませんが。 お母さんはこっちの言葉の方が○○(子供)とおしゃべりしやすいから、こっちの言葉で喋ろうよ。と言うかな。 貴方のお母様のしたことは良いことだとは思いませんが、お母様も若かったでしょうし、心配や焦り、不安が心のゆとりをなくし些細なことと受け流すことが出来ずに、そのような結果になってしまったのではないでしょうか? それが貴方のトラウマになっているのはお母様も気付いているでしょうし、反省もしていると思います。 小さい頃の嫌な体験はトラウマやコンプレックスになりやすいですし、親を責める気持ちも分かります。 わたしも子供の頃に親に叱られた事で吃音になり、ずっとそれが悩みでした。 大人になった現在でも緊張すると言葉が詰まることがありますし、とても落ち込みます。 でもそれはそれで自分の個性として前向きに向き合っていかなければならないと思っています。 トラウマをばねにして現在に活かされているのは素晴らしいことだと思いますよ。 |