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目指せバイリンガル!
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中国、新疆で「バイリンガル」の幼稚園465校を建設 中国国際放送 中国は今年、新疆のカシュガル、和田などで8億3000万元を投資して、中国語と英語のバイリンガル教育を行う幼稚園465校を建設することになりました。 8億3000万元のうち、4億8000元は建設資金、3億5000万元は運営経費だということです。(翻訳:玉華 チェック:安藤) |
Q | 英語に堪能な方、教えてください。夏目漱石の「草枕」がグレン・グールドの愛読書だったことを知ったのですが、自分にはグールドと「草枕」がすぐには結びつかなかったので面白く思い、アラン・ターニー訳の「草枕」を読んでみました。そこで感じたことは、原文と英訳では小説としての趣がまるで違うということでした。東洋趣味の固まりのような「草枕」も英語で読むと、日本の野山よりはロッキー山脈麓のハイキングを想像してしまい、山の茶店の汚さも今ひとつ伝わってこないような感じでした。私は中学高校の6年間しか英語教育を受けてなく、読解力が弱いせいもありますが、そのせいばかりではなく、この小説のもつ東洋趣味の味わいの幾分かは翻訳困難な面があるのではないかと思いました。バイリンガルの方や、英語に堪能な方が「草枕」を読むと、原文と英訳の間のギャップはそれほど感じないものなのでしょうか?それともやはり翻訳できないニュアンスを感じ取れるものなのでしょうか?たとえば村上春樹の作品なら「草枕」ほどにはギャップがないように想像しますが・・・・ |
A | バイリンガルはどうかわかりませんが、日本人で(つまり日本の文化や風土に慣れ親しんでいて)英語に堪能な人が読めば、初心者以上にギャップを感じるのではないでしょうか。私は、英語に堪能とは言えませんが、それでも日本文学を英語に翻訳したものを読むと、日本語には、英語の語彙そのものにない擬態語、擬音語や感情の微妙な違いをあらわす形容詞、副詞がいかに多いかを感じます。英語ではその微妙な味わいを表しきれない、表す術がないんだろうなあと感じることが多いです。そのギャップは、むしろ日本語訳された英米文学を読む時より、英訳された日本文学を読む時の方が強く感じます。私でさえそうなのだから、ましてや英語に堪能な方は、「ここは名詞形じゃなく動詞形の方が原文のニュアンスが出るのにな」とか、「いや、この言葉は違うな。むしろ○○の方が、原著のニュアンスをよく表現できるのにな」等々、気になることが多いと思います。おっしゃる通り、村上春樹の作品ならさほどギャップはないでしょうね。明治、大正の頃は今以上に日本人特有のウエットな人間関係やしがらみが強くあり、まさに東洋趣味のかたまりのようなものは英語ではどうしても表わしきれないんだろうなと感じます。同じ英語ですら、インドやフィリッピンには、アメリカにはない表現があるくらいで、言葉というものは文化・風土を色濃く反映するものなんでしょうね。 |