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目指せバイリンガル!
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「巡音ルカ」と人間の歌い手が共演したアルバム「君のいる景色」をプロデュースしたWhiteFlameにインタビューしてみた GIGAZINE 第3弾となる「巡音ルカ」は、シリーズ初の試みとして日本語と英語の2つの音声データベースを搭載したバイリンガル女性シンガーとなっています。ちなみに「VOCALOID」はヤマハ株式会社の登録商標です。 簡単に自己紹介をお願いします。 「WhiteFlame」というサークルで活動 ... |
Q | 豊臣秀吉は台湾やフィリピンに貢物を要求したり,日本を小国と言って侮った中国にやり返した時彼らに言葉の問題は無かったのでしょうか?それと彼は朝鮮にも使者を送って、技術者とかを招き入れる要求を出していますが、あの時代バイリンガルの人とかいたんですか?誰が通訳をしたのでしょうか?特にフィリピンとかは,漢字ではなくアルファべッを使う国なので、どのようにして彼らと交渉したのでしょうか?身振り手振りだけだとしたら、限界があると思うのですけど。 |
A | 日本史史料集とか見ると秀吉から朝鮮王への書簡とか載っています。こんな感じです。日本国王関白秀吉、奉書朝鮮国王閣下・・・(日本国王関白秀吉、書を朝鮮国王閣下に奉る・・・)立派な漢文です。この時代、極東においては漢文が共通語になっていました。日本でも朝鮮でも、学問をするのに学ぶ第一外国語が漢文でした。英語なんかはまったく学ぶ必要はありませんでした。漢文(もちろん、今のように読みだけでなく作文もやります)さえやっておけば外国人同士すくなくとも筆談はできたのです。フィリピン総督への国書も漢文のものが残っています。フィリピンではスペイン人からスペイン語を習った中国人(フィリピンに定住していた華僑?)がいて通訳したのでしょう。 |